da capo
失礼しますね、と執務室を出ていくを上の空で見送り、完全にパタンと扉が閉じてから深くため息をついた。反省するべきところも突っ込むべきところもありすぎて、自分の不甲斐無さにほとほと呆れる。ほんま、何してんねん、俺。
を抱きしめたところまではよかった、けれどそこまでだった。その後のもうひと押しが重要だというのに、「家にまたおいで」と言った自分はどれだけ気が弱いのか。あの様子だとは何も感じてないに違いない。なんて情けない25歳男児。
(ていうか、お父…お父や!なんでいっつもお父がええとこ持ってくねん!)
所長にも言われたので、とが言っていた言葉を思い出す。つまり俺は二番目だったということだ、通りでの反応が薄かったはずだ。父親に先を越されるなんて思いもしなかったと、再び溜息を吐いた。
せっかくのチャンスだったの滞在も急な終わりを告げ、有利だった状況が次々とひっくり返されていく。だからといって不利な状況にはなっていないものの、自分とは上司部下ではないのでこれからの関係性の進展は少し難しい。
(あーもう…惚れた弱みってやつやん?)
難しいと分かっていてもどうにかしたいと思うのは、仕方のないことだと思う。それほど好きなのだ、が。予想以上に彼女に執着する自分に驚きつつ、苦い笑みを零した。本当にいつの間に、こんなに好きになっていたのだろう。恋は盲目、今ならその言葉が痛いほど分かる気がした。
***
最近と柔造が一緒にいるのをよく見かけるのは、気のせいではないと思う。誰かに確認したわけではないので自分が意識しすぎているだけかもしれないが、以前より2人でいる姿を見かけるのが増えたのは確実だった。
何か彼らの間にあったのかと気になるものの、新たな関係性を築いたのであれば何かしら報告してくるだろう。隠される理由もなければ必要もない、志摩家の跡取りである次男はそのあたりをよく理解していると思っていた。彼ももういい歳だ、そろそろいい時期ではないのかと親として気を揉むものの、慌ててほしくないとは思う。いろいろ複雑だ。
そんなことを考えながら自分の執務室へとのんびりと歩いていた。もう定時はとっくに過ぎている。先ほどの蟒との話し合いで、近頃頭を悩ませていた案件もまとまったところだ。肩の荷も下り、あとはもう帰るだけである。気分はなかなかだった。
「あ、所長。仕事終わりはったんです?」
「…柔造やないか。どないしたん?」
「ちょっと話あってん」
「話?」
おん、と次男は頷いた。執務室の傍の窓から外を眺めていた柔造は、すっかり暗くなっていた景色から視線を外し、躊躇うように彷徨わせる。一体何なんだ。
「もう仕事終わっとるさかい、中入って話そうや」
「や、廊下でええねん。仕事のことやないし」
「なら、家帰ってからはあかんのか?」
「あ、いやー…あんなぁ、」
珍しく歯切れが悪い柔造に、はよ言えや、と先を促す。するとその催促に心を決めたのか、柔造は一度息を吐くとまっすぐに目を見てきた。息子の真剣な顔に、ばれないように少し戸惑う。なんだ、仕事のことではないとすれば家のことか。それとも先程まで自分が考えていた、のことか。とうとう付き合いを始めたという報告であるなら、どれだけ嬉しいことかと思いながら柔造からの言葉を待った。そしてやがて、「に、」というフレーズが聞こえる。自然と顔が綻んだ。
次の言葉を聞くまでは。
「…携帯、支給してやってくれへんか…」
「ほぉ、よか…、………は?」
よかったやないか、と口から出かけた言葉を飲み込んで、出てきたのは間の抜けた声だった。携帯、支給?話がまったく読めずに固まっていると、柔造は「俺も泣きたいねん…」と笑っているのか泣いているのかよく分からない表情で言ってきた。
「、携帯持っとらんのや。本人もこれからしばらくは買う気ない言うとる…仕事上の名目で、支給してやってくれへんか」
「そりゃ、携帯ないと仕事上不便やろうけど…」
そこで言葉を止めると、柔造の無言の懇願にあって視線を逸らした。柔造が行動すれば職権乱用だの公私混同だの下世話な問題が起こる可能性があるものの、自分がするならば対して不自然ではないだろう。それを十分に分かっているからこそ、柔造も自分に言ってきたに違いない。
どうしたものかと思っていると、苦笑を滲ませた柔造から小声で「お父、頼む」とせがまれる。一瞬迷うものの、まぁいいか、とやれやれといった風に息を吐いた。全く、甘いと分かってはいるのだが。
「“仕事上、常時連絡取れんと不便やから”、やで」
念を押すようにそう告げると、おん、と柔造は嬉しそうに笑みを零した。息子も息子なりにいろいろ必死なのだろう、ここはひとつ首を突っ込んでやるかと腕を組む。ただ、支給する携帯の一番最初のアドレスのメモリには自分を入れてやろう。それくらいの罰は彼に与えてもいいはずだと、そんなことを思う。
に「お義父さん」と呼ばれるのは、そう遠い未来ではないのかもしれない。そう、ふと思った。
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