「夜勤?」
「うん、急でほんま申し訳ないんやけど、代わってくれへん…?」

必死に頭を下げて申し訳なさそうに告げてくる同僚に、今夜の予定をさっと思い返す。このまま日勤の定時で家に帰っても、特にすることはなかった。一昨日借りたDVD観賞を予定していたが、それはまぁどうにでもなる。

「いいよ。急ぎ?」
「おん、実家のほうで、親戚に不幸があったらしくてな…」
「わ、そりゃ大変。所長には私が言っておくから、準備して早く行きなよ」

手で急がせる仕草をすると、同僚は「ちゃんごめんなぁ、ほんまありがとう!」とだけ告げて慌てた様子で更衣室へと向かっていった。親戚に不幸か。私は早くに両親を亡くしたため、親戚付き合いなんてものはほとんどゼロに近かったなと今更ながら思った。もしもの時のために住所と連絡先くらいは知っているものの、それを使用したことは両親が亡くなってから一度もない。なんて薄情な娘だと、自分に苦笑を漏らした。

しかし急な夜勤だと、團服の胸元に忍ばせている携帯を引っ張り出して時間を確認した。昼間の3時。一旦仮眠を取らせてもらってから夜勤に挑んだ方がいいような気がする。

「えー、夜勤交代、仮眠…あ、ごはん」

所長に連絡せねばならないことを指折り数え、確認を終えるとくるりと踵を返して所長の執務室へと向かった。今日の出張所はたいへん平和らしく、がやがやと仕事をしている職員たちの話し声がよく聞こえる。私たちの仕事は表舞台では悪魔を祓う大仕事であるが、平和な時には所詮他の普通の職場と変わらない地味なデスクワーク中心なのだ。私も所長に連絡をしたら、仮眠の前に机の上に積んである仕事をどうにかせねばと溜息をついた。


***


「あれ、とちゃう?」
「…志摩。あ、そうか志摩も今日夜勤か」
「…自分、今日夜勤やったっけ?」
「いや、同僚と交代した」

自分の仕事場で昼間のうちに片付け終えられなかった書類をこなしていると、少し開いていた入口の引き戸からふと声が聞こえた。視線を上げるとそこには志摩の姿。いちいち彼氏のスケジュールを管理しているほど出来た女でも独占欲が酷い女でもないけれど、思い返せばそういやそうだったような、という程度には覚えていた。もしかして志摩は逐一私の知らないところで私のスケジュールを確認しているのだろうかと末恐ろしいことを思ったが、肯定することも否定することもできなかったのでそれ以上考えるのをやめる。いや、志摩に限ってそんなことはない、たぶん。…たぶん。

「ひとりなん?」
「いや、2人。今報告書出しにいってる」
「報告書?なんかあったんか?」
「いや、なにもありませんでしたーの報告書。さっきまで外に警邏行ってたから」
「…、喧嘩売ってるん?」
「はぁ?」

何言ってんの、と書類整理をしていたために下げていた視線を上げると、志摩は案外近くまで来ていたようで。すぐそばにあった志摩の顔に、少し驚いて後ずさった。ひらひらとしている團服の袖を掴まれて、次いで腕を取られて引き寄せられる。仕事をしていた机を挟んで志摩の胸に倒れこむと、そのままぎゅっと抱きしめられた。

「え、な、何?」
「なぁ、俺の前でそういうこと口に出すなや」
「ど、どーいうことよ?」
「他の男と2人っきりで外におったこと」

一層強く抱きしめられて、むぎゃっと色気のない奇声が漏れた。かと思えばぐいとゆるく髪を引っ張られて、無理やり上を向かせられる。

「…、ふ、」

ちょっと、夜勤中なんですけど。そう思いながらも合わせられた唇に戸惑いつつ答えると、珍しく余裕がないらしい志摩はそのまま私の首筋をつうと舌でなぞった。ぶわりと身体を駆け巡る快感と恐怖に、志摩の背中の團服を掴んでいる手に力が入る。2人の間にある机が少し邪魔で、けれど志摩には移動してあげるという考えすらないらしい。徐々に寛げられていく胸元に、ふと我に返って「す、ストップストップ!」と慌てて志摩に制止をかけた。

「ど、同僚帰ってきたらどうすんの馬鹿…!」
「ええやん、見せとけば」
「変な意地張るな!志摩には関係ないかもしれないけど私は仕事しづらくなるでしょ、」
「…牽制?」
「なんの」
「俺のに手ぇ出したらあかんってゆう」
「ぎゃ、わ、…っ」

いらん心配だアホ。そう思いながら、首筋、鎖骨、そして胸に降りかかるキスに身体がびくびくと震えた。同僚にみられるかもしれないという緊張感と、夜勤中だという背徳感に変に身体が反応する。一瞬胸元で焼けるような痛みがして、跡をつけられたのだと理解するとグーで志摩の背中をドンと叩いた。なにやってんのあんた。

「…ええやん」
「し、仕事中!」
「…ええやん?」
「よくない!」
「…ほんだらもうちょっとだけ、」
「よくないから!」



バニラシロップを一滴だけ

とろりとおちた、あまい罠




120715  back 甘いお菓子シリーズ next