じゃあ俺晩御飯つくっとく、何がいい?えーと、そうだなぁ、…トマトのパスタ。分かった、楽しみにしとけよ。うん、帰ってくるのたのしみ…あ、仕事!えっ今何時だ?7時半過ぎちゃったうわあああやばい着替えたらもう行くからあとはよろしくねシリウス!あ、あぁ…。

結局今朝はあの後バタバタとしてしまったけれど、玄関でパンプスを履き終わってドアに手を掛ける前、シリウスが額にいってらっしゃいのキスをしてくれた。それだけでもうちょっと前までの気まずさがなくなり、御機嫌になった私はシリウスに負けないくらいの単純頭なのだと思う。そうしてこうやって今、最近仕事仲間の間でおいしいと評判のワインを片手に帰路についている自分がとんでもなく現金に感じた。まぁそれもいいだろう、シリウスのおいしいパスタとおいしいワイン、疲れた身体と頭を癒すにはもってこいだ。

パンプスの音を響かせながら階段を上り、ワインの入っている紙袋と通勤用のカバンを抱えなおしてからドアに手を掛けた。「ただいま」と告げながら入り、パンプスを脱ぎ捨てるようにして玄関に放るとずかずかと中に入る。ザパンっという水を切る音がして、なんてナイスなタイミングなのかと自分を誉めたたえた。いや、シリウスが私が帰ってくる時刻を計算してパスタを茹でていたということは分かりきっているのだけれど。キッチンに向かうと予想通り、茹であがったばかりのパスタの水を切っているシリウスがいた。私に気付いたシリウスが「おかえり、」とパスタを盛り付けるためのトングを探しながら告げる。

「ただいま」
「パスタ、もうできるから。着替えてこいよ」
「うん。あ、これ、晩御飯のときに開けよう、最近職場で評判のワイン買ってきたんだ」
「…まじ?銘柄は?」
「これ」

ガサリと音を立てながらワインを紙袋から取り出すと、シリウスは一瞬トングを落としそうになって、すんでのところでなんとか持ち直したようだった。私はそんなに驚かれることをしただろうかと思いながら首を傾げると、シリウスは「ブハッ」と噴き出して笑った。

「相性いいんだか悪いんだか分からねぇな!」
「え?どういうこと?」
「こういうこと」

シリウスはそう笑顔で告げながら、カウンターに置いてあった見慣れないビニール袋をとった。まさか、と目を丸くしながらシリウスを見守っていると、思った通り、シリウスはその袋から私が今手にしているものとまったく同じワインを取り出す。「な?」と苦笑をにじませるような笑顔で言われ、私も思わず噴き出して笑ってしまった。

そしてパスタが伸びるといけないからと私は急いで着替えに行き、その間にシリウスはパスタの仕上げをしてくれた。私が化粧を落としてキッチンへ戻ってくると、もう既にパスタの皿はテーブルに置かれており、シリウスはワイングラスを取り出しているようだった。私は2人分のフォークとスプーンを取り出し、それぞれのお皿の前に並べて置く。ソファーにゆったりと腰掛けて待っていると、シリウスがワイングラス2つと先程私かシリウスかが買ってきたワインをかかえて戻ってきて、シリウスからグラスをひとつ受け取った。コルクを引きぬきまず私のグラスにワインを注いでくれて、そして交代して私がシリウスのグラスにワインを注いだ。

「お仕事おつかれさま」
も」

チン、とグラスを合わせてお互いを労うと、ちびちびとワインを口にしながらシリウスの作ってくれたトマトパスタをぺろりと平らげた。極端な小食でもなければ大食いなわけではない、人並みの胃袋であることと元々食べるのが早いことも相まって私とシリウスはほとんど同時にスプーンとフォークを置いた。男と同時に食べ終わるなんてなんて可愛気のないやつだと自負しているものの、昔にシリウスが「片づけとか楽だからいいんじゃねぇの?」と言ってくれたのでそう気にしてはいない。

お互い何も言わずにワインを舌に転がして味わっていると、痺れを切らしたのか、シリウスが「昨日の話だけど、」と口を開いた。

「そんなに慌てなくちゃいけないことでもねぇし、別に…もう少し待って欲しいなら、俺は、待つからな」
「…うん」
「でも、やっぱ俺は…家族っていうものが、欲しい。ああいう家で育った分、尚更」
「え、子供ってこと?」
「…平たく言えば、まぁ」
「あ、あ…っそ…へぇ…」
「他人事にすんなよ」
「し、してない」
「どうだか」

ふ、とシリウスが小さく笑うのが聞こえる。そうか、子供かぁ。今まで結婚ということは考えたことが合っても、子供を作り、家庭を築くということは考えたことがなかった。子供が欲しくない、というわけではないと思う。なんてったってシリウスの子だ、男の子でも女の子でも愛らしいに違いない。シリウスが結婚のみならず子供を作って家族というものを考えているのには正直驚いた、そこまで先のことを思い描いていたなんて。自分の奔放さが身に染みたが、いや、今はそういうことではなくて。

子供、ということはひとまずさておき、私はワインをぐいっと喉に流し込むとほうと息をついた。考えても考えても、明確な答えは出なかった。きっと、この問題に答えなんてないのだ。選んだものが正しいのか正しくないのか、それは選んでからでないと分からない。もしかしたら正しいも正しくないもないのかもしれない、それくらい不確かで難しい。シリウスの言葉は聞いた。あとは私の言葉を告げるだけだった。

「…私は、怖いよ」
「え…な、何がだ?」
「変わるのが。籍を入れることによって、変わるのが…怖いよ」
「籍って…そんなの、事務上の行為じゃねぇか?」
「なんていうか…その、…縛りたく、ない」
「…はぁ?」
「確かな関係ができることで…シリウスを、縛りそうで」
「…ちょ、え、待って、それ」
「え?」
「ど、独占欲だろ?それ」

首の後ろを掻きながらシリウスはそう言い、そして私はシリウスの告げたその言葉に、いままでふわふわと形が捉えられなかったものが急に鮮明になっていくような気がした。そしてその意味を理解したと同時、はっとして口元を押さえる。もしかして今とんでもない方向に流れていってるのではないのだろうかこれ。体温が上昇していくのが分かって、うろうろと視線を彷徨わせた。まってこれ、すごく恥ずかしい。私の沈黙を肯定と取ったのか、シリウスは隣に座っている私を座ったままぎゅっと抱きしめてきた。

「…すっげぇうれしい」
「あ、いや、あの、」
「俺ものことすごく好きで、だから独占したくて、お前は絶対俺のものだからって…だから、籍入れたい」
「え、あ、ええと」
、」
「え?」
「結婚しよう」
「…うん」

耳元で聞こえたシリウスの真剣な声色に、気付けば肯定の返事を答えていた。そしてそれを告げた瞬間、ぶわりと心が満たされたような気がして、自分から肯定したのになぜか涙が出てくる。恥ずかしくて俯くと、無理矢理シリウスに上を向かされてそのまま唇を合わせられた。けれどその合わせられた唇からもしょっぱい味がして、シリウスの頬に指を滑らせると私のものではない涙があって。どっちもどっちだと、きっとシリウスもそう思ったのだろう、唇を離した瞬間にこつんと額を合わせて笑い合った。




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